ヴィンセント・ギャロ/Vincent Gallo


1961年ニューヨーク州バッファロー生まれ。
16歳で故郷を後にし、ニューヨークのアンダーグラウンドの世界に飛び込む。 8ミリ映画に出演したり、NYの路上で出会ったバスキアとバンドを組み、Mudd Clubで演奏する。以来彼は、ミュージシャンとして演奏し、画家として個展を開き、プロのバイクレーサーになり、俳優としてエミール・クストリッツァアベルフェラーラの映画に出演し、 モデルとしてCFに登場し、ハイファイ機材の批評も手がけるなど、多彩な活動を繰り広げ、その後、自分のバンドの演奏を兼ねてヨーロッパを旅行。そこで画家のフランチェスコ・クレメンテや、 ベルトルッチ監督と仕事をしているヴィクトル・キャバロと知り合い、映画製作の世界へ・・
自主制作で撮った自伝的な内容の監督デビュー作「バッファロー'66」は、彼がそのマルチな才能を映画という表現に凝縮した作品。


Buffalo '66 (1998) - Trailer

バッファロー'66』(1998年、監督・主演)により脚光を浴びる。

ギャロ語録


雑誌インタビューとネットより抜粋転記しています

 「オレが嫌いなのは、ハーモニー・コリンの「ガンモ」みたいにトレンディーなだけの映画だ。コリンは最低のクソ野郎だし、 「ブギーナイツ」のポール・アンダーソンやタランティーノも話にならない。あんな作品を作る連中は、人類の進化に貢献することもなく、商業主義に乗っかってるだけなんだ。 作品のコンセプトも映像言語も既成のものを焼き直しているにすぎない。日本人の観客は作品を見る眼を持っているけど、トレンディーなものに弱いところがあって、 コリンのダサい映画まで追いかけてしまうんだよ」
 「アクターというのは、俳優として認められるために何かを証明しなければならないような仰々しさがある。 演技にとりつかれているんだ。25年前にデ・ニーロが出てきたとき、彼はムーヴィースターだった。カリスマがあり、イカしてた。 でも演技にこだわりだして、どんどんアクターに変貌し、オレは耐えられなくなった。デ・ニーロになりたいっていう若い連中がたくさんいてうんざりするよ。 演技があまりにも芸術的になると映画のなかでは生きないんだ。その点、ウォーレン・ベアティは素晴らしかった。彼はどんな作品でも自然体でフィルムメイカーと協調関係を築き上げていた。 ムーヴィースターというのは、人類の進化のなかに無理なく適応しているコンセプトなんだよ」

これまでの俳優として出演した映画については必ずしも満足していないのが伺える発言

「オレはクストリッツァのそれまでの3作品を素晴らしいと思い、「アリゾナ・ドリーム」に出演したんだが、6ヶ月かけて撮影された27時間のオリジナル・カットが2時間に編集されたとき、 オレのパフォーマンスが台無しになってしまった。この苦痛は言葉にしがたい。アベルフェラーラは独自のヴィジョンを持った本当に素晴らしい監督だと思う。 ただ「フューネラル」で残念だったのは、撮影中に彼のヤク中がどんどんひどくなっていって、彼が思い描くヴィジョンを完璧に表現できない状態になってしまったことだ。 オレは監督として個々のパフォーマンスから最良のものを引きだす能力を持っているし、「バッファロー'66」では映画を自分で完璧にコントロールすることができた」

不毛なサバービアの恐怖

 「バッファロー'66」の物語は、ギャロ扮する主人公ビリーが、5年の刑期を終え、自由の身になるところから始まる。 彼はバッファローの両親の家に戻ろうとするが、両親に電話したときに厄介な問題を抱え込んでしまう。結婚して政府の仕事で遠くへ行くことになったと嘘をついていた彼は、 話の成り行きで妻を連れて帰ると口走ってしまう。困り果てた彼は、ダンススクールのレッスンに来ていた見ず知らずの娘レイラを拉致し、妻に仕立てようとする。 映画はそんな滑り出しから風変わりなラブ・ストーリーへと発展していくことになる。
 このドラマには、バッファローで生まれ育ったギャロの実体験が反映され、映画の中心的な舞台となる家は、かつて彼と両親が実際に暮らしていた家が使われている。 そんな映画からは、テレビにファミリー・レストラン、ボーリング場、ストリップクラブくらいしか娯楽がなく、 ヒーローになりたかったらボーリングの腕を磨くしかないようなサバービア(郊外住宅地)の日常が浮かび上がってくる。

 「オレは低所得者たちが暮らすバッファローのサバービアで育った。映画に出てくるあの家だ。そこにあるものはすべてくだらない。 若い頃は、セックスとか盗みのような犯罪がとても刺激的に見えた。なぜならどいつもこいつも、ソファーに座ってテレビにかじりついているだけだから。 本当に悲惨な世界だった。バッファローでは一年の半分が雪との戦いなんだ。だから女のパンティを脱がしたり、物を盗んだりするしかないんだ。恐ろしい町だよ。本当に恐ろしい」
 映画のなかで、家に戻ったビリーに対する両親の態度は決して暖かいものではない。母親はテレビのアメフトに熱中し、父親の態度には息子に対する敵意が見え隠れする。 そんな家族の姿から察せられるギャロの少年時代は明るいものとは言いがたいが、ニューヨークに自分の居場所を見出した彼は、なぜそんな過去を振り返ろうとするのだろうか。
 「オレはひとりの人間として自分がそれほど面白い人間だとは思わない。ばかげたエゴやコンプレックス、怒りや強迫観念にいつも振り回されている。 しかし明確なヴィジョンを持った映画を作ることによって、そんな自分というものを乗り越えられると思う。そこにオレが映画を作ろうとする動機があるんだ」

キャスティング

 「バッファロー'66」はギャロの偏執的ともいえるこだわりによって作られた作品であるが、それはキャスティングについても例外ではない。これも彼がそのほとんどを直接交渉で決めたののだが、「あいつはユダだ」と公言してはばからないクリスティーナ・リッチ。そして、撮影中何度も「ダッド」と思わず叫んでしまった程、父親に似ていたベンギャザラ。予想に反して評価の低いアンジェリカ・ヒューストン
 彼が絶賛するクリスティーナ・リッチとベン・ギャザラ、そしてそうでない人たち、その理由は・・・

タップシーンで流れるキング・クリムゾンの「MOON CHILD」が効果的に使われてた。


クリスティーナ・リッチ
 「バッファロー'66」は彼女がいなければ素晴らしい映画にはならなかった。車の中のシーンでの彼女のクローズアップでギャロの厳しい注文に完璧に応え、人をほとんど褒めないギャロをして「最高の演技」と言わしめた。
ベン・ギャザラ、ロザンナ・アークエット
 「役者の中で驚かされたのは、まずはベン・ギャザラだね。彼とロザンナ・アークエットは、テイク毎に違う演技を見せてくれた。ロザンナは素晴らしいよ。ウエンディを演じた彼女は全くウエンディそのものだった。神経質でちょっとピリピリしていて、彼女が出演している映画の中では一番気に入ってるよ。本物の彼女をあの映画の中で見せれたし、もの凄く自然に演技している。」
 「ベン・ギャザラの演技はすべてパーフェクトで素晴らしかった。彼は知的な人ではないし、年中飲んでるけど、あの演技は彼が計算して作り上げたものなんだ。オレの父親はあんなにセクシャリティーじゃないけど、彼は自分でああゆうポルノティックな感じを加えてくれて、とても気に入ってるんだよ」

アンジェリカ・ヒューストン
 「オレが作った脚本を台無しにしたのはアンジェリカ・ヒューストンさ。脚本の中であの役が一番面白く書かれていたのに、脚本が悪いんじゃないかと思わせたのは彼女のせいだよ。」
*低予算でほとんどギャラも出なかっただろう大女優もギャロにかかると形無しだけど、これこそギャロと思わせるインタビューで面白いエピソードだとぼくは思う。

コントロールする欲望の原点

 サバービアの生活は、いろいろな意味でギャロの創作に影響を及ぼしているように思える。たとえばそれは、主人公ビリーの潔癖症ともいえる性格だ。彼は出所直後に尿意をもよおすが、 少しでも人目があると用が足せないらしく、必死にトイレを探しつづける。レイラを拉致した彼は、彼女のクルマに乗り込むときにフロントガラスの汚れに気づき、 緊迫した状況であるにもかかわらず、彼女にきれいにするよう命じる。さらに彼は、自宅のベッドルームから仲間に電話した後で、ベッドカヴァーの皺をきれいにのばすのだ。
 「オレは病的な習慣について考えていたんだ。 もしオレがああいうとんでもない両親と生活していたら、どんな習慣が生まれることになるかってことだ。これは、怒りに駆られる人間がどうやって体系的に自分をコントロールし、 人生の苦痛を生き延びる道を探し出すかという社会学的なコンセプトに基づいている。仲間に電話した後の主人公の行動はまるで精神病者だが、それは同時に自分をコントロールする行為でもあるんだ」

 このコメントはとても興味深い。ギャロはアメリカのインタビューで、自分のことを"コントロール・フリーク"というように表現している。 これは、自分がすべてを完璧にコントロールすることを求めるということであり、もちろんクリエイターであれば誰もが求めるものではあるのだが、ギャロの場合には、 この完璧なコントロールということがもっと特別な意味を持っているように思える。彼には、コントロールに対するオブセッションがあり、それが映画の主人公の心理から映像表現にまで深い繋がりを持って反映されている。 この映画では、ビリーとレイラ、彼の両親の4人が食卓を囲む場面、ビリーがファミリー・レストランで昔の彼女に遭遇する場面、ビリーとレイラがスピード写真を撮る場面などで、画面を切り取る構図が緻密に計算され、 登場人物たちの感情の軋みや距離感が巧みに強調されている。

 個人的に一番驚かされたのは、彼の両親の4人が食卓を囲むシーンでのカメラアングルである。観た人は思い出して欲しいのだが、通常食卓を囲む場合はカメラの位置を避けて撮るのが当たり前なのだが、ギャロはこの常識をいとも簡単に破壊し、いままで観たことのない食卓シーンをぼくたちに見せてくれたのである。カメラがギャロの目線であり、リッチになり、ギャザラ、ヒューストンと切り替わる映像には驚かされた。ちなみに上の写真の構図が、ギャザラの目線だと説明すればわかりやすいと思うのだが、どうでしょうか?

 「オレはフィルムメイカーになる前に画家をやっていた。絵画におけるオレの言語は、構図やコントラスト、色彩であり、それは映画の表現に直接翻訳されている。 オレは撮影監督のスタイルを完全に排除し、構図とかをすべて自分で決めてから現場に撮影監督を入れるんだ。この映画では最終的に3人のカメラマンを使うことになったが、映像の違いはまったくないはずだ。 なぜなら、現場で撮影したのはカメラマンであっても、最終的な映画を撮っているのはカメラマンではないからだ。オレは撮影が終わってから1年かけてそのフィルムをどのように発展させるか考え、大きく手を加えている。 だから、この映画を観て撮影が素晴らしいと言われることがあるが、それは撮影ではなく、様々な要素がまとめあげられた映画なんだ」
 ギャロが撮影後のフィルムを具体的にどのように発展させているのかということに話を進める前に、興味をおぼえるのが、ギャロとデイヴィッド・リンチの感性の共通点だ。 リンチもその独特の感性の出発点に(特に50年代の)サバービアの世界があり、また画家であることが映画に少なからぬ影響を及ぼしている。そういう意味で、ギャロがリンチの映画をどう見るのか非常に興味深い。

この写真を見る限り果てしなくリンチの影響を感じさせるが・・・

 「オレはリンチをフィルムメイカーとしても人間としてもまったく好きになれない。彼の作品はほとんど観ていないが、「イレイザー・ヘッド」は耐えがたい。 オレは7千本の映画のヴィデオをコレクションしているが、そのなかのどんな監督や映画の影響も受けていない。映画はあくまでファンとして観るんだ。野球だったらオレはミッキー・マントルが好きだったが、 自分が野球をやることになってもマントルと同じようにプレイするわけじゃない。自分が野球はこうあるべきだというプレイをするんだ。映画に風変わりなキャラクターが登場すると、みんながそろってリンチの影響だという。 しかし、あのクソ野郎があの胸くそ悪くなる作品でデビューする前から映画にそんなキャラクターは存在していたんだ」これもギャロらしいコメントだ(笑)

ギャロが試みる映像と音楽の冒険

 風変わりなキャラクターが登場するだけでリンチの影響にされるのは彼としては腹立たしいのだろうが、サバービアで培われた感性が視覚的にどのような発展を見せていくのかという意味で、 ふたりの世界を対比してみるのは面白い。確かにギャロがこの映画で試みる映像の冒険は明らかにリンチとは違う。
 「この映画は、テレビで放映されるときに構図や色彩がどのように変わるのかということまで計算して作ってある。普通の映画作りでは絶対に無理なことをやっているんだ。 フィルムをテレビのフォーマットに変換するために、1時間で800ドルもとられるパネル・スキャンという装置を使い、4週間と4万ドルを費やして、テレビにもフィットする作品に仕上げた。 この映画はある意味では、テレビやヴィデオで観た方が完璧という部分もある作品になっている。パネル・スキャンというのは、普通は最初の2分くらいで色調などを調節して、単純に映画をテレビのフォーマットに変えるだけの装置だが、 オレはそれで毎日自分の映画を見つづけ、すべてのカットの構図や色調について細かくメモをとり、調整していった。だからどのカットも違う色を持っているし、完璧で美しいんだ。 それはもう撮影監督が撮った映像とはまったく違うものになっているんだ」

実際、ぼくは映画館で二回とヴィデオで数回観ているが、自宅でヴィデオで観てもなんら違和感はなかった。

 多くの映画監督は、映画とテレビを別のメディアと考えていると思うが、ギャロはそこに境界を設けることなく、映画をテレビと結びつけることによって、自分が完璧にコントロールすることができる環境を作りあげてしまう。 このようなテレビに対する意識は、誰もがテレビにかじりついているサバービアの生活を彼が嫌悪していたことを考えると意外な気もするが、彼の膨大なヴィデオのコレクションが物語るように、 彼にとって映画とテレビやヴィデオは非常に近いところにあるメディアなのだ。
 そんなふうに既成の境界を消し去ってしまうようなアプローチは、音楽に対する彼の感性にも現れている。「バッファロー'66」のサントラでは、ギャロ自身の音楽とキング・クリムゾン、 イエススタン・ゲッツが違和感なく並んでいるのが印象に残るが、音楽生活の方でも彼はそのコントロール・フリークぶりを遺憾無く発揮している。
 「オレは1万5千枚のアルバムを持っていて、そのジャンルは何でもありだ。この2、3年のあいだでオレがいちばん面白かったことは、アメリカをクルマで横断したことだ。ニューヨークとロスを往復するんだ。 その途中でレコード屋に立ち寄って、持ってないアルバムは片っ端から買いまくる。カントリー&ウエスタン、クラシック、ポップス、ディスコ、持ってなければ何でも買う。 それから家に戻って、全部聴いて、最高の曲や曲の一部、瞬間だけをテープに再編集する。つまらないレコードから最高の瞬間をとらえたテープが出来上がるのさ。 それは最高にファンタスティックだ。どんなつまらない曲にもイケてる瞬間ていうものがあるってことさ」

 ギャロにとって、「人類の進化」に貢献する表現とは、これまでにない独自の言語をあみ出すことだといってよいだろう。彼は、好きな監督としてブレッソンパゾリーニとともに小津をあげ、こんなふうに語る。
 「オレは昔、パリで行われた小津の回顧上映に20日間毎日通い、40本の作品を観た。字幕はフランス語だから、言葉などはまったくわからないし、あらすじのパンフもなかった。でもそれはオレの人生のなかで最高に素晴らしい瞬間だった」
 「バッファロー'66」で、主人公ビリーは、潔癖症の習慣によって自己をコントロールしようとし、ギャロは、監督、脚本、主演、音楽のみならず、撮影までも完璧にコントロールする。 この映画の言語をユニークなものにしているのは、不安定な自己を乗り越え、世界との調和を求めようとするギャロの強烈なオブセッションなのだと思う。


そして2002年、ペインティング、ドローイング、写真など約120点を展示する「ヴィンセント・ギャロ レトロスペクティヴ 1977-2002」が東京・原美術館において開催される。

翌年の2003年にはFUJI ROCKで来日


FUJI ROCK 2003


同年2003年、公開された『ブラウン・バニー

監督・主演のみならず製作・脚本・美術・撮影監督・編集・衣装・メイクまで自ら手掛けた。


honey bunny



個人的にはバッファローよりも、より偏執的で完璧主義がいかんなく発揮されたブラウン・バニーが好きなのだが、長くなるので機会があればまた紹介したいと思います。ブラウン・バニーの写真集を製作するために単身京都で紙職人と紙を選ぶ話とか面白いのですが・・・


バッファロー'66 [DVD]

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