レニ・リーフェンシュタール


 ダンサー・女優・映画監督・写真家・ダイバー。彼女に経歴と言う言葉は無意味だと思うが、自分の持てる力を最後まで燃焼しつくした彼女の一生は、人間という存在が持つ「可能性」を証明してくれた。彼女の人生の軌跡は、ぼく達に、人間はここまでできるという真実を伝え、勇気と希望を与えてくれた。敬愛してやまない20世紀最強の女性、レニ・リーフェンシュタール。その102年の歴史を紹介します。


Leni Riefenstahl

1902年8月22日ドイツのベルリン生まれ。
 ベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』と、ナチ党大会の記録映画『意志の勝利』が国威を発揚させるプロパガンダ映画として機能したという理由から、ナチのプロパガンダ映画製作者として忌み嫌われ、戦後長らく黙殺される。1970年代以降、アフリカ、ヌバ族の人びとを撮影した写真集と、水中撮影写真集の作品で、戦前の映画作品も含めて再評価の動きも強まったが、依然ナチ信者の烙印は消えず、その生涯を終えることとなる。


Olympia

歌はダミアン・ライス。何故ゆえこの美しい映像が、忌み嫌われ、レニが戦犯になってしまうのだろうか…。
波瀾万丈な人生を歩み、死ぬまでその歩みを止めなかった20世紀最大の女性芸術家レニの生涯を追ってみる。

映画監督になるまで


 レニ・リーフェンシュタールは、1902年、ベルリンの裕福な家庭に生まれた。生来の美貌、体力、感性を持った彼女は、まずダンサーとして世に出ることになる。女優としてのデビューは、22歳の時。初主演で抜擢された『聖山』は大ヒットを記録し、レニは人気女優として認知された。その後も何本かの山岳映画に主演するが、巨匠アーノルト・ファンク監督の技法を現場で吸収したレニの中に、自分自身の映画を作りたいという欲求が生まれてくる。当時、女性が映画監督をするなど考えられない時代だったが、レニの情熱は社会的通念などものともしなかった。そして初の監督・主演作品『青の光』を製作。光と影を効果的に使った幻想的な映像、神秘的な伝説を織り込んだこの作品は、世界から拍手を持って迎えられ、ヴェネチア映画祭で銀賞を受賞。なんとレニ、僅か30歳のことだった。

あまりにも美しすぎた映画『オリンピア』の悲劇


 1933年、ヒトラーがドイツの首相に就任。『青の光』を見たヒトラーは、レニにナチ党大会の記録映画製作を依頼する。そしてレニは歴史上、最も美しいと言われるプロパガンダ映画を完成させる。ヒトラーが総統になった翌年の1935年、レニの監督した『意志の勝利』は、ヴェネチア映画祭金獅子賞を獲得。映像作家として彼女は頂点に立った。翌年、ベルリン・オリンピック大会が開催され、IOCはレニに記録映画を依頼する。あたかもギリシャ彫刻のような肉体、躍動するトップ・アスリート達の美しさは、レニにとっても格好の素材だった。彼女は斬新な撮影方法を発案しながら、大量の資金と人材を投入してこの映画を製作。ベルリン・オリンピックは、ヒトラーが威信をかけて行ったものであり、ドイツの力を世界に知らしめるためにも、この映画の成功は必須だった。膨大な録画フィルムの編集にレニは2年間を費やした。こうして生まれた『民族の祭典』『美の祭典』2部作による『オリンピア』は、見事、ヴェネチア映画祭金獅子賞を再び獲得した。美貌、才能、権力、名声、その全てを手に入れたかのように見えたレニ。しかし、この華々しい成功こそ、皮肉なことに彼女を奈落の底に落とす運命の扉となってしまう。彼女にとっては、芸術性の探求が全ての行動の目的だったが、彼女の「美しい作品」は、結果的に、ヒトラーとナチ党の神格化に力を与えた。1945年、ヒトラー自殺。レニは、ナチ協力者として、アメリカ軍に逮捕される。彼女はその時が来るまで、ユダヤ人虐殺の事実などデマだと思っていたと後に語っている。

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アフリカとの出会い


 終戦後、レニは刑務所に収監される。彼女の政治責任を問う裁判は長期にわたり、その影響で一時的にフランスの精神病院に収容されることさえあった。だが、レニは一貫して無罪を主張。事実、レニは一度としてナチ党員になったことはない。最終的に審査機関は、レニを「ナチの同調者ではあったが、政治責任はなかった」と判定。しかし、社会は、そう簡単にレニを許そうとはしなかった。その大きな要因は、彼女が決して謝罪しなかったことによるだろう。知識人も、ドイツ国民も、こぞってレニを非難した。社会の逆風に抗いながら、不屈の精神を持って製作した映画『低地』の興行的失敗。コクトーとの共同製作による映画も資金不足でお蔵入り。しかも、次の映画のロケハンのために訪れたアフリカで、自動車事故による瀕死の重傷を負ってしまう。それでも奇跡的な生還を遂げた彼女は、入院中のベッドの上で、アフリカの奥地、スーダンのヌバ族の写真を目にした。

 この出会いが、レニの次なる運命の扉を開く。その姿に魅せられた彼女は、6年後、ヌバ族に会うため未開の奥地を探訪。レニ60歳の時である。  彼らヌバ族は、美しく、そして優しかった。ヌバに魅了されたレニは、それからどんな苦難が起こっても、毎年彼らの村を訪ね、その姿をカメラに収めていった。そしてレニにアーティストとしての復活の時が訪れる。8年の歳月をかけて撮り続したヌバ族の写真集が、世界中にセンセーションを巻き起す。レニの美の探求は、人間本来が持つ、原始の美しさに辿り着いた。

1973年に発表された写真集「THE LAST OF THE NUBA (最後のヌバ) 」は世界中のアーティストを魅了した。真っ黒な体に真っ白な灰をすりこんだ男たちの肉体。魅惑的に光り輝く少女たちのダンス。顔や体にほどこされたアーティスティックなペインティング。そこには誰も目にしたことのないヌバ族の美しい姿がここにはある。

Leni Riefenstahl, Africa: 25th Anniversary edition

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70歳を超え、レニ海の中へ


 70歳を目前としたレニは、初めてのシュノーケリングで、海の中の世界を目にした。そして、71歳の時、パートナーでアシスタントでもある40歳年下の男性ホルストとともにケニアに向かった。目的は、ダイビングのライセンス取得。年齢を51歳と偽り、見事に合格した彼女は、念願の海の世界に飛び込んだ。アフリカで人間の原始的な美に出会ったレニが、最終的に生命が生まれた場所、「海」に辿り着いたのは、もっともなことなのかもしれない。そこには原色の生物たちの美しさに満ち満ちているのだから。そして彼女は、76歳で水中写真集『Coral Garden』、88歳で『Wonder Under Walter』を発表。ドキュメンタリー『レニ』の中では、90歳を過ぎてもなお現役でダイビングを続け、水中写真を撮り続けるレニの勇姿を見ることができる。彼女の情熱はけっして衰えることなく、ついには100歳で、48年ぶりの新作映画『Wonder Under Walter』を完成させた。

アンダー・ワンダー・ウォーター 原色の海


1973年ヌバ族の写真集を発表した直後、71歳のレニは年齢を51歳と偽ってダイビングのライセンスを取得。
 30年間をかけて、2000回にも及ぶダイビングを繰り返して撮影し、この映画が完成したとき彼女は100歳の誕生日を迎える。モルディブセイシェル、紅海、カリブ海…。レニが世界中の海で出会ったさまざまな生命たち。その色とデザインは、人間が創り出すモードやアート以上に創造的で、レニが最後に到達したアートの世界は、感動を超え驚異的な美しさを覚えます。コクトーウォーホールファスビンダーからコッポラまで、世界中の芸術家を魅了しつづけた理由はこの映画を見ればわかるはず…。

ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海 [DVD]

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しかしナチ信者の烙印は生涯消えず、2003年9月8日、102歳でその一生を終えてしまう。


Olympia 序章


Leni Tribute

あなたのことは一生忘れません。
ありがとう、レニ。
http://www.youtube.com/watch?v=8PhNMdwvMmA


美の魔力―レーニ・リーフェンシュタールの真実

美の魔力―レーニ・リーフェンシュタールの真実